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伴侶の死をどう克服する?


(以下の文章は、平成11年(1992)11月28日の『日本経済新聞』夕刊の「生活家庭欄」に掲載されたものです。)


 文芸評論家・江藤淳氏の突然の訃報(ふほう)に接したときにはひどく驚いた。報道その他によれば、慶子夫人の死が氏の自死の決断に大きく影響していたという。伴侶の死が、ときに克服しがたい悲嘆を生み出すことを改めて知る思いがした。長らくともに生活してきた伴侶の死は、残された者に実に様々な思いを残すのが普通である。その一つは、言うまでもなく大きな喪失感である。伴侶は、多難な時代をともに支え合って生き抜いてきた戦友であり、人生という一度限りの時間を共有してきた一心同体の片割れでもある。その死が、自分の身体の一部を失うことのように思われても不思議はない。
 そしてさらに厄介な感情に、罪悪感がある。どうしてもっと早く気付いてやれなかったのだろう、病院選びが安易すぎたのではなかったか、もっと打つ手はなかったのだろうかなど、第三者から見れば非のうちどころもない看護なのに、残された者の心を責める声は後を絶たない。
 告知することなく伴侶をがんで送ってしまったような場合には、この罪悪感はさらに増幅されることがある。すべてを知っているのは自分だけだという思いから、日々刻々と現れてくる病状の進行を見るにつけても、生きている自分自身が途方もなく罪深い存在に思えてくる。別れのときだけはなんとしても心からの感謝をささげたいと思うのに、死を禁句にしている建前から、ついその機会にも恵まれない。こうして癒し難い自責の念と痛哭(つうこく)の思いに果てしなく苦しめられることになる。この癒し難いと思われる悲嘆を癒す方法、少なくともそれを援助する方法はないのだろうか。
 一九九三年以来、東京・杉並区で活動している私たちの小さなボランティアの会「支える会」は、過去に同じ体験をもった者たちが集まり、悲嘆緩和のためにささやかなお手伝いをしたいと考えている会である。悲嘆のさ中にある人々と集い、死の状況、それにまつわる様々な思いなどを語り合うのだが、目的とするところは、悲嘆の感情が、決してその人だけに固有のものでも特別のものではない、ということに気付いていただくことにある。
 悲しみのさ中にある人たちは、しばしばその悲嘆が誰とも分かち合えない、自分だけのものと思いがちである。むろん、悲しみの感情は、「過去に埋め込まれた記憶の再現」であると言われるように、幼児期以来のその人の喪失と悲しみにまつわる生活史、特に愛着形成の過程と深い関係がある。愛着がなければ喪失の悲しみもないからだ。
 ところがその愛着形成は、乳児期の母親の乳房との接触時からすでに始まるとされ、その後長い時間をかけて補正、形成を繰り返しながら、伴侶の選択にまで及んでいる。個々の愛着が伴侶を選ばせ、過去の喪失体験が現在の喪失を彩るという意味では、悲しみとはすぐれて個性的なものである。
にもかかわらず、悲嘆の過程は万人に共通したものであることも忘れてはならないのだ。死別直後の呆然自失、伴侶はいまも生きているのだと思い込むことで本能的に自分を防衛しようとする死の拒絶衝動、伴侶の面影を他者に求める追慕の行為、そして深い罪の意識や、死者への隠れた怒りの感情までが、同体験者たちの悲しみの声を聞いていくうちに、自分だけに特別なものでなく、むしろ死別体験には共通した感情であることに気付き始める。自分だけと思われていた悲嘆感情を、実は自分以外の人々も同じように感じているのだと気付くとき、癒しの第一歩が始まるのだ。
 死別後の最も危機的な時期は、死別直後の動揺期でなく、弔いの行事もすべて終わり、改めて一人残された寂しさをかみ締め始める六か月後から一年の間である。深い抑うつ期が始まるこの時期、最も大切なのは、悲しみに忍耐強く耳を傾けてくれる聞き手の存在である。悲しみは抑圧するのではなく、解放すること、心の束縛を離れて素直に語ることが必要なのだ。
 そして抑うつこそは、生きる力を模索する無意識の心の大切な働きであり、もうそのすぐ先が、暗いトンネルの出口であることを知っておくことも大切である。独り身の生活が圧倒的に多くなるこれからの時代、悲しみを乗り越えて生き抜くためにも、私たち一人一人が癒される者であり、同時に癒す人でもあるという自覚が、ますます必要になるのだろう。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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