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悲しみを「語る」こと、「書く」こと


 死別の悲しみはとても複雑なもので、何がどうしてこんなに悲しいのか、悲しんでいる本人にもその実体がよくわからないということがしばしばあります。悲しみだと漠然と考えている感情も、仔細に見つめてみると、そこには悲しさだけではなく、胸を締め付けるような不憫さや切なさ、不安や恐れ、それに罪の意識やら、後悔やら、自他に対するかすかな怒りの感情やらが複雑に絡み合っているのに気づきます。たった独りでこんなに重く複雑な感情と向き合っていたら、ただただ圧倒されて、出口のない抑うつ感に押しつぶされてしまうかもしれません。
 こんなとき、同じ体験をした者同士が集う「支える会」のような場が、いかに有益であるかがわかります。それぞれの立場から率直かつ誠実に語られるさまざまな体験談を聞くことで、参加者たちは、複雑な姿をとる悲しみの種々相を少しずつ明らかにし、理解していくことができるからです。他の参加者が語るニュアンス豊かな不安や恐怖、切なさや悲しさなどの感情にじっくりと耳を傾け、共感しながら、その一つ一つの感情を自分自身に当てはめ、自分自身の感情のありかを突き止め、理解していきます。これが、会に参加して、「聞く」ことの大切な意味です。
 しかし、もう一つ大切なことがあります。それは、自分の感情について「語る」ことの意味です。すでに述べたように、悲しみの感情はさまざまな要素が絡む複雑なものであるため、はじめからそのすべてを把握するというわけにはいきません。理性に把握されていない感情は、コントロールするのに非常に困難です。
 「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)という言葉を耳にされたことあると思います。べトナム帰還兵たちの不可解な病的症状を解明することから特に注目されるようになった言葉ですが、その兵士たちは、帰還後においてもなお、特定の臭いや物音の刺激を受けると、制御不可能な身体的動きを伴う不可解な症状を呈しました。戦場での極度のストレスにより、様々な記憶がばらばらにインプットされた結果によるものであることが明らかにされ、「心的外傷後ストレス障害」と命名されました。こうした兵士たちのための有効な治療法のひとつが、実は、彼らに恐怖体験を幾度となく語らせるカウンセリングを通して、ばらばらの記憶を一つのものにまとめ上げ、組織化することでした。
 死別の悲嘆は、それほど強烈なものではありませんが、共通した要素を多分に備えた一つの心的外傷と考えられます。死別という強烈な衝撃によってストレス障害を受けた脳は、判断機能、統一機能を一時的に失い、不安・恐れ・悲しみなどの感情が、理性の制御の効かないまま、ばらばらの状態で記憶されていると考えられます。それらの記憶は、何気ない刺激、例えば、ふと目にした風景や一片の遺品によって刺激されると、脈絡もなくよみがえります。これが、死別後しばらくのあいだ顕著に見られる、自分の意志ではどうにもならない不安や恐れの原因であり、「何がどうしてだかわからない悲しみの感情」の原因ではないかと思われます。幾度となく「語る」ことは、断片的にインプットされていたさまざまな悲嘆の要素を、自分なりに整理し、一つながりのものにまとめ、理解していく重要な作業ということになります。不安や恐怖は、理解され、整理されたときに、軽減します。これが「語る」ことの大切な意味です。
 この整理と理解を「語る」こと以上に確かなものにしてくれるのが、「書く」ことです。「書く」作業には、じっくりと時間をかけて心のなかを見つめる深さがあるからです。私たちの「支える会」では、八回のセッションが終わると、天国の伴侶に向けて、手紙を書くことにしています。これには、「語る」ことでは満たされないもう一つの大きない意味があります。もう二度と会うこともできず、したがって、もう二度と言葉を交わすこともできない伴侶と、生前ついにできなかった和解や弁明、実行できなかった約束への謝罪、言いそびれた感謝の言葉、そして病室ではとうとう言えなかった心からのお別れの言葉などを、心を込め、誰はばかることなく、素直に、率直に、愛情を込めて伝えることができることです。故人にあてる手紙は、残された者の心の傷を優しく癒してくれる大事な作業と言えるのです。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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