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これまでの私、これからの私


 「支える会」は全八回のセッションを通して、「悲嘆の作業」と呼ばれることを行います。「悲嘆の作業」とは、悲しみを癒し、克服していくこと、いわゆる「立ち直る」ことを言うのですが、これが「ひと仕事」を意味する「作業」という言葉で呼ばれるのは、これが一般に考えられているほど簡単なことではなく、それなりの苦悩と努力をしなければ達成されない「心の仕事」であるからです。
 私たちの感情生活は目に見えない思い込みや感情の習慣性によって無意識のうちに縛られ、支配されています。死別後の悲嘆を一人で処理しようとするときの危険性は、こうした思い込みや感情に縛られてしまうことです。
 自分の悲嘆は「自分だけに特殊なもので人にはけっして話せないもの」と思い込んだり、「あの人の死は、私のいたらなさ、私の不注意に原因があるのだ」とひたすら思い込んで、深い罪悪感に苦しんだりすることがあります。罪意識は死別体験に伴うきわめて一般的感情ですが、一人でいる限りは、それが自分にだけ固有のことのように思われて、心の癒しなど自分には許されるはずもないと考えたりします。
 怒りの感情についても同じです。医療関係者や葬儀社関係、お寺、親族などへの怒りはごく普通に見られる感情ですが、死者その人に対する怒りに関しては複雑なものがあります。「あれほど幾度となく忠告したのに、あの人はとうとう聞き入れてくれなかった」「大変な子育てを私だけに押し付けて、勝手に逝ってしまって」「生前も私につらくあたっていたのに、今度はこんな苦労まで私に押し付けて」といった怒りの感情から、とくに自死の場合に見られる晩年の伴侶の性格変貌や相手方の親たちとのいきさつを絡めた怒りなど、死者その人に対する怒りもかなり一般的な感情であるのですが、死者を鞭打つことは許されないとする意識的、無意識な抑圧があるために、伴侶に対する怒りの感情を明確化することもできないまま、二律背反的な感情にいつまでも苦しみ続けることもあります。
 罪の意識も、怒りの感情も、さらには抑うつ感や孤独感も、「立ち直り」の過程においては起こるべくして起こるごく普通の感情ですが、問題は、これらの感情が過度に積み上げられ、肥大化した場合です。そうなると、これらの感情は、立ち直り作業(「悲嘆の作業」)のスムーズな流れを阻止し、阻害する障害物となり、悲嘆の作業はそこで一時停滞して、悲嘆状態の慢性的持続が発生することにもなりかねません。「悲嘆の作業」は、阻害となる感情を一つ一つ消化し、乗り越えることによって進められていきますが、これらの感情は、どれひとつをとってもとても重い感情で、これを消化克服するには、癒しのための長い時間と苦悩と、そして「気づき」の繰り返しが必要になります。
「気づき」とは、無意識のうちに行われるその感情に関するさまざまな情報の分別、整理、総合、納得の作業と言うことができますが、「立ち直り」の過程がこのように複雑な作業を含むものであることがわかれば、それが「悲嘆の作業」と呼ばれる理由も納得されることと思います。
 こうした複雑な作業を経た後、「悲嘆作業」の最終的な目標が登場してきます。その作業は、悲しみを忘れ去るために行ってきたのではなく、悲しみを自分の成長につなげ、美しく、意味あるかたちで消化するためのものでした。立ち直る自分は、死別以前の元の自分にそっくりそのままたち返ることではなく、喪失をばねにして、新しい自分になるためのものです。
 「新しい自分になる」ということには、二つの側面があるようです。一つは言うまでもなく、伴侶の死に直面してすっかり戸惑っていた自分が、伴侶のいない環境のなかでも独りで力強く生きていける自分に変わることですが、もう一つの側面は、もっと深い意味で新しい自分になることです。できれば、これまでの自分のあり方そのものを根本から問い直し、人生観全体にも一部修正を加えた上で、新しい自分を再出発させていく、ということです。
 後者の意味での新しい自分は、たった独りで生きていくことになるこれからの長い人生を考えるとき、とりわけ大切なことのように思われます。年齢とともに訪れる寂しさや孤立感と対決できる真の力は、喪失による以外には普通知り得ない「新しい価値観」に目覚める以外にはないからです。
 伴侶の死を通して、私たちは「自分」という小さな枠を乗り越えて共感することの大切さを教えてくれた「悲しみ」に触れることができました。生きていることの尊さを実感し、愛することの大切さをも実感できる人間にもなりうること、それが人生の秘術でなくてなんでしょうか。伴侶の死は、こうした秘術を伝授してくれる貴い時間だったのかもしれません。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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