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妻からの贈物


(私の妻は、平成2年(1990年)9月8日に他界しました。以下の文章は、その1年半後に、『霊園情報』(1992年夏号)に掲載されたものです。)


 妻が他界して一年半、家の庭先の桜の木が妻のいない二度目の花を間もなくほころばせようとしている。昨年、妻を失ってまだ間もない私は、庭の桜の花が満開になっているのに気付かなかつた。ある日ふと、重い目を書斎の窓外に向けると、そこには眩いばかりに明るい桜の花が命の限りを尽くして咲き競っていた。この華やかな命の饗宴に一瞬めまいを感じながら、その前の年の同じ頃、妻を伴って近くの公園まで最後の花見に出掛けたときのことを思い出した。そのときも、この花の命の力を求めて出掛けたのだった。妻を桜の木の下に立たせては、幾枚も幾枚も写真を撮った。まるでそうすることで、桜の命が、命の消えゆく妻のなかに蘇ってくれるのを祈るかのように。それは祈りの花見であり、妻との無言の別れを惜しむ最後の花見でもあつた。妻の命がもう半年の猶予もないことを、私はそのときすでに知っていたからだ。
 その半年前、これまで病気というものを知らなかった妻が大腸癌の手術を受けた。妻は不調を感じていながら、一日一日と延ばしていた。家系に癌を患ったものがいなかったから、よもやと思い、そしてどこかで恐れていたのかもしれない。癌はすでに腹膜に転移していた。手術をして、主治医からあと三か月から六か月という宣告を私だけが受けてしばらく後、久し振りの日差しを楽しむために、私たちは病院の中庭に出た。妻が何気なく手術の結果を私に聞く。「手術は成功だったよ」と答えたものの、私の答えはいかにも冴えなかったに違いない。「なんだか冴えない答えね。でも、まさか二年とか四年とか、ということではないのでしょう」と妻が言った。私は言葉に窮し、このときほど生きている者の罪深さを感じたことはかった。それまでの私は、生きることだけにかまけて、妻を深く見つめることも、妻の命をいとおしむこともしてこなかつた。その妻が、いま死を目前に控え、この世での命を終わろうとしている。私は自分の愚かさを深く恥じ、初めて妻の命を自分の命として渇望した。私はなりふり構わず神に祈った。
 人はこんなことにでもならないかぎり、心のやさしさ、命の大切さに気付こうともしないのだろうか。消えゆく命を燃やしながら病魔と闘う妻を見つめながら、刻一刻と美しさを増す妻の初々しさに感動し、心の奥底から疼きのように込み上げてくるいとおしさを如何ともし難かった。私は、妻がいま遂げようとしている息づまるような成熟を、自身のものとして渇望した。同じ成熟を遂げることだけが、妻の命を生かす唯一の道であるにちがいないと信じながら。
 妻の命が消えたとき、まるで当然のことのように、私は妻が残した永遠の命を生きてみようと決意した。それは、かつてなく真実な悲しみを残してくれた妻からの最後の愛、大切な贈物に思えたからだ。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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