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私の幸福観――良き演技者であることの薦め


本文は、2010年2月21日、日本グリーフ・ケア・センター主催による「全体会」においてお話した談話を文字化したものです。


 この世を一つの大きな劇場と考え、人間とは、それぞれの人生を舞台として生きる一人の役者にすぎないと考えた人たちはこれまでにも沢山いました。その代表例は、イギリスの劇作家シェイクスピアですが、例えば、代表作の一つ『マクベス』の末尾では、野望を打ち砕かれ、夫人の死をも知らされたマクベスは、自分の一生を振り返って、こんなふうに言っています。

 消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影に過ぎぬ。あわれな役者だ。ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。(福田恒存訳)

 私もまた、人はその一生という舞台の上で、自分という役柄を生き、演じ続ける一人の役者で、そのフィナーレは、もはや役作りをする必要もなく真の己自身となるとき、そんなふうに最近考えるようになりました。人は己自身になりたいと願いながら、実は、なかなかなることができない。真実の自分になることを模索しながら、生涯、役作りの改良を続けている存在、そんなふうに考えるようになったのです。
 そう考えるに至った理由は簡単でした。「成長」、「成熟」という言葉を愛好しながら、自分自身は成長も成熟もしていないからです。「成長」「成熟」は、明らかに私の「憧れ」であり、「切望」であるのですが、では、なぜ、私はそれらに憧れ、渇望するのだろう、そもそも、憧れ、切望するとはどういうことを言うのだろう、と、そんなことを考えているうちに、どうやら私説「人間役者論」とも言うべき考えに行き着いたのかもしれません。
 子供たちがまだ小学生の頃、我が家ではよく車で、あまり値の張らない場所を選んでは旅行したものです。その頃の私は、まだ運転ができず、車の運転はもっぱら妻の仕事でしたが、そんなこともあってか、車中で子供たちを楽しませるのはもっぱら私の役目でした。子供たちを煙に巻くクイズを幾つか用意したものです。その一つに、こんなものがありました。「ねえ、きみたちは昔、保育園生だったよね。それが終わると何になった?」「そう、幼稚園生だよね。」「では、その次は?」「そう、小学生。」「では、その次は?」と続けていきます。「中学生」、「高校生」、「大学生」あたりまでは簡単ですが、その次あたりからは、設問する私のほうが、だいぶ知恵を絞らなくてはなりません。「では、大学生の次は?」子供たちは首を傾げて考え込みます。「大学を卒業するとね、仕事につくね。だから、社会人かな。」「その次は?」もう子供たちに答えられるはずもありません。「その次にはね、結婚するね。だから、女の子ならお嫁さん、男の子ならお婿さん。」後はもう、私だけが考えては、答えていきます。「さて、その次はなんだろう。結婚して、子供ができるよね。だから、男の子ならお父さん、女の子なら、お母さんだね。」「次は?」「そうだな、だんだん年をとっていくね。腰も曲がってくるね。だから、男の子ならお爺さん、女の子なら、おばあさん。」「では、その次は何だろう。」妻が運転席で聞き耳を立てているのがわかります。しばらく間を置いてから、私は言います。「その次はね、ホ・ト・ケ様。」子供たちは呆気にとられ、運転席からは妻のくすくす笑いが聞こえてきます。もう二度と戻ってくることもない、至福のひと時でした。
 こんなクイズを出すことで、私は何を考えていたのでしょうか。おそらく、子供たちのこれからの人生が、ただ漫然と連なるだけの時間ではなく、そこには幾つかの局面があり、しかもその局面局面には期待され、求められるそれぞれの姿や形があり、そして、いずれ訪れて来る死があることを印象付けたかったからに違いありません。
 ところで、人はいつ頃から、自己嫌悪という感情を知るようになるのでしょうか。この感情は、理想や憧れの形成と深い関係があるように思います。自己嫌悪は、悔しさとは違います。悔しさは、したいことができなかったり、失敗したりしたときに起こる感情で、言わば欲望を裏切られたときの感情ですが、それに対して自己嫌悪は、もっと倫理的で、精神的なものではないかと思います。もう少し高潔であってもいいはずの自分が、つい下劣な自分を露呈してしまったようなときに、自己嫌悪は襲ってきます。頭のなかにある自分自身の理想像を表現し切れなかったとき、つまり、演じ切れなかったときに生じてくるのが、自己嫌悪ではないでしょうか。
 生れ落ちたときから、私たちは予定された一つの完成を内に宿していると考えることもできそうです。一粒の種が大地の恵みに育まれながら、芽を出し、葉を出し、茎を出し、一つ一つ予定された小さな完成態をクリアしては、最終的な完成を目指して育っていく。それと同じように、人間もまた、母体と母親の乳房から始まり、さまざまな環境に守られ、栄養を吸収しながら、肉体と意識の両面で、一つ一つの段階をクリアしては、成長していくのだと思います。自意識に目覚めて以来、幼児期には幼児期の、学童期には学童期の、青年期には青年期の、そして子育て時代には子育て時代の父親としての、あるいは母親としての内なるモデルがあるのではないでしょうか。その内なるモデル、内なる幻影が、実は私たちの「憧れ」であり、私たちの内なる「幸福感」の原点であるとは考えられないでしょうか。「憧れ」の状態を求めながら、それに届かない自分の至らなさを感じるときに、それが不全感や失望感として感じられ、ときに自己嫌悪ともなるのでしょう。その意味で、偏りのない心の健康に時折の悲しみや罪意識が不可欠であるように、自己嫌悪の感情もまた、憧れと幸福感の追及には不可欠なのかもしれません。
 その時期その時期の予定されたモデルを求めて、手探りし、試行錯誤しながら、さまざまに自分自身を演じる続ける役者、それがほかならぬ私たちであるのですが、その役作りの過程も、プロの役者さんたちとほとんど変わるところはありません。入れ子箱のように、幾重にも重ねられた自分という箱を一つ一つ開けては取り出し、演じながら、より相応しい、より深い自分自身を探し出していく作業、それが自分探しという役作りです。
 いで ひでお、という詩人がいます。私たちのスタッフの井出さんですが、奥様をめぐる素直な詩を沢山書かれているなかに、「あの頃から」と題するこんな詩があります。


  あの頃から 貴女が好きになり
  あの頃から 優しいあなたが好きになり
  あの頃から 凛としたあなたが好きになり
  あの頃から 貴女の中の人間が好きになりました
  そんな貴女が「もう、良いよね」と旅立ちました。(『風の中の記憶』より)
 
 この詩の魅力は、奥様が単に「好き」だと感じられるだけの次元から、「優しい」奥様、「凛とした」奥様、そして「人間」としての奥様へと、次第に奥深いレベルの奥様に変貌していくところですが、その過程はそのまま、井出さん自身のより深い自分自身の発見、そして、より深い幸福感の発見へとつながっていたことがわかります。
 さて、私自身について言えば、子育て時代もとうに過ぎて、残すのはわずかに「ホ・ト・ケ様」の局面だけとなりました。私も長いこと、自分探しの役者勤めに励んだことになりますが、この間、予定された理想のモデルに到達したと思えたことはただの一度としてありません。そう思えるときが果たしてあるのか、あるとすればいつなのか、それとも、ついに「途上」のままで終わるのか、私にもわかりません。
 ただ時折、こんなふうに思います。私がいまそれなりに幸福だと言えるならば、それは妻の死という犠牲があったからではないのだろうかと。私に革命的とも言える人生観の変更を迫るものがあったとすれば、やはり妻の死であったからです。20年前のこの出来事がなかったら、愛することの意味も、人の悲しみへの共感も、これほど深く気付くことはなかったでしょう。
 一つの気付きは、それに連なる幾つもの気付きを引き起こします。私はかつてなく、今日の私をあらしめてくれた肉親に感謝しています。戦後間もなく45歳の若さで肺結核に倒れた父、その後、女手一つで3人の子供を育ててくれた母、その母を父に代わって助けてくれた今は亡き兄、母の世話をひとり引き受けて私に自由を許し続けてくれた妹。でも、私を助けてくれたのは肉親や友人知人だけではなかったことを、今の私はよく知っています。妻の死の直後、新聞の死亡欄に目を走らせては、妻よりも若くして亡くなった方々の年齢を確かめては、幾度不謹慎な慰めを感じたことでしょう。その後も、失望し、落胆するたびに、自分よりももっと不幸な人達、もっと悲惨な出来事を見出しては、生きる勇気に変えていたのを覚えています。
 家の近くに、私がよく行く区の温水プールがありますが、小さな子供たちが集まるそこは、まるで命の溢れる小宇宙のようにも思えて、大好きです。プールの向こう端には、可愛らしい子供たちがまるで蜘蛛の子のように群がっては、リーダーの甲高い声に従って泳ぎの練習をしています。こちら側では、年若い父親や母親に付き添われた小さな男の子や女の子が幸せそうにはしゃいでいます。そしてその中に混じって、やはり楽しそうに、幸せそうに、ハンディを背負ったお子さんたちが、先生に付き添われ、あるいは親御さんに付き添われて、泳いでいます。そのお子さんたちの屈託のない、いかにも幸せそうな様子が、私の悲しみを吹き飛ばすように、えも言われぬ幸福感で満たしてくれます。
 演ずべきこれからの私のモデルがあるとしたあら、それは100パーセントの幸福を求める自分ではなさそうです。命の喜びは命の悲しみとともに在ることを知っている自分、自分の幸福は他の無数の人たちの悲しみによって支えられていることを知っている自分、そんな役作りに励む役者を、私はもうしばらく続けたいと思っています。
 


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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