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  本会の歩み


 ボランティア団体「日本グリーフ・ケア・センター」は、その前身名を「あすなろ会」と言い、1991年(平成3年)10月、伴侶の死の悲嘆にある人々を支える自助の会として、杉並区松庵の聖マーガレット教会に活動の場を借りてミーティングを始めました。それに先立つ同年9月23日、立教女学院で行われた東京教区フェスティバルの場で、立教女学院の教壇からすでに定年退職されていた故ヨハネ佐田菊彦兄、カウンセラーのペテロ伊達寛兄、それに私とが会い寄り、当教会でもこの種の活動を始めてはどうだろうかと話し合ったのがそもそもの発端でした。英国その他海外では、教会の場を用いてこの種の活動を行うのが普通だったからです。その半年前から、佐田兄とその仲間たちは「さくら会」という同趣旨の自助の会を持っていましたが、「あすなろ会」はそれと合流する形で始まりました。
 発足当初の目的は、あくまでも自助の会として、伴侶を亡くした者同士が集まり、相互に支え合うことで、それぞれに悲嘆を克服し、できれば人間的な成長をはかろうとするものでしたが、その半年後の1992年(平成4年)4月、貴重な死別体験を自分たちだけの慰めと癒しにのみ用いているのはいかにももったいなく、後続する同体験者の悲嘆を支えるために活用されるべきではないかという考えが一同のなかに湧き起こり、その後一年間、さまざまな文献を読み合い、講師を招くなどして、全員で死別カウンセリングの勉強を始めました。
 こうして、1993年(平成5年)4月より、「あすなろ会」と同時に、グループ・カウンセリング「支える会」(正式名称は「伴侶の死の悲嘆にある人々を支える会」)を同じ教会の場を借りして行うことになりました。
 自助の会と二本立てで行われていた「支える会」を2年半続けた1995年(平成7年)11月27日、創立者の一人である佐田兄が逝去され、その一周忌に当たる1996年(平成8年)12月、満5年を迎えた本会は、名称を「あすなろ会」から現在の「日本グリーフ・ケア・センター」に改称、活動も「支える会」だけに一本化し、新名称になって第1回目が始まる翌1997年(平成9年)4月からは、会場も現在の杉並区立浜田山会館に移して本格的な活動を開始し、現在に至っています。
 本会は会員制を取ることなく、必要とする人たちに必要な援助を即座に提供することをモットーに、年2回(4月から7月まで、および10月から1月まで)、各期全8回の「支える会」の開催だけを提供し、その上で、その後の継続的ケアとして、また、悲嘆作業をより深く理解し、進めることを目的として、「支える会」終了者を対象にした「童話セラピー」を必要に応じて行っています。
 その他の活動としては、「支える会」終了者たちが自主的に集まる「同期会」、年一度終了者全員が集まって交歓する「全体会」、毎月一度希望者が集って散策や食事を楽しむ「土曜の会」、また、ヴィデオでオペラを楽しむ「オペラの会」などがあり、「支える会」終了後も継続的に仲間作りができるように配慮されています。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

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