←日本グリーフ・ケア・センター トップページに戻る

悲嘆に関する Q&A


◆死別体験の受け止め方にも、個人差や男女差があるのでしょうか?

 死別という体験は、近しい人、愛する人を喪うという意味においては、一様に辛く、悲しいネガティブな出来事であることに違いはありません。しかし、同じネガティブな出来事であっても、それを受け止める際の受け止め方には、個々人によって、また男女によって、さらには病死であったのか、自死であったのか、事故死であったのかなどによって、違いが出てくるのは事実のようです。
 同じ死別という出来事でも、人によって受け止め方には違いがあるという事実を強く印象付けられた経験がありました。今からもう25年ほども前のことになりますが、私たちの会が単なる自助の会から、同体験者を支援する現在の「支える会」へと脱皮した直後のことでした。
 その頃は、まだグリーフ・ミーティングという形式が珍しかった頃で、ある新聞社が取材を申し込んできました。取材となれば、ミーティング風景を公開しなくてはなりません。それには参加者全員の了解が必要になるということで、記者の方には部屋のなかで待機していただき、取材に応じてよいかどうかの賛否を問うたときのことでした。一人の中年女性がやや急き込むようにしてこんなふうに述べられたのです。「伴侶が亡くなって、ただでさえさらし者になっているのに、その上さらにさらし者になるなんて、とんでもないことです」と。
 取材はすぐさま取りやめましたが、そのとき何よりも意外だったのは、その女性の「ただでさえさらし者になっているのに」という表現でした。伴侶を亡くすことは「さらし者になる」ことなのだろうか、「さらし者になる」と表現されなくてはならないほどに、暗く後ろめたい出来事なのだろうか、そんな疑問が頭をよぎったのです。
 確かに四半世紀前のその頃には、まだ死を「汚れ」と見なし、死を「忌む」意識がどことなくあったのも事実で、その「死」を忌む意識が「死別に見舞われた当人」にまで広げられることがあるという趣旨の文献を読んだ記憶もあります。はたして彼女のそのときの言葉が、死を忌む世間の意識を反映しての後ろめたさであったのかどうか、今となっては確かめようもないのですが、死の受け止め方を、男女差の問題として対社会的に捉えるときには、それに似た意識の可能性がすっかり消え去っているとは言い切れないようにも思われます。
 厳しい社会を女性が一人で生きていくときの不安と危険を考えてみれば、女性が一人で生きていく際の心細さと不安を「さらし者」になるという意識でとらえたとしても、決して突飛なこととは言い切れないのではないでしょうか。  夫を亡くした妻が対社会的な防護の策として、敢えて男物の洗濯物を軒先に吊るしてみたり、玄関口に男物の履物を並べてみたり、表札の名前を女性名と分からぬ程度までで留めておいたりということは、今でもごく普通に行われていることでしょう。男性優位の乱暴な社会にあっては、男性の後ろ盾がないと見られた女性が、どこまで見くびられ侮られるかわからないという不安もあります。勢い女性はいやが上にもガードを高くし、「さらし者」にだけはなるまいと身構えることにもなるでしょう。こうした身構えの心理は、同じように伴侶を亡くしたとは言え、男性の当事者にはなかなかわからない心理ではないでしょうか。
 男社会という観点から見て、女性にはもう一つ、男性にはわからない女性特有の喪失心理のあることも忘れてはならないでしょう。今なお、多くの場合に、主婦の社会的地位は夫の社会的地位によって代表され、認知されているということがあります。妻の社会的認知が夫の社会的地位によって保障されているということになれば、夫を失うという出来事は、妻にとっては、夫ばかりか、これまで得ていた社会的な地位と認知までをも同時に失うということでもあり、この意味からも、夫を失うことが、社会からはじき出されることのように意識されることがあっても不思議ではありません。
 しかし、同じ死別のなかでも、心理的にも社会的にも複雑で解きほぐし難く深い傷を伴う喪失があるとすれば、それは、自死による喪失です。病死による喪失であれば、ますます重く進行していく病状を見つめ続ける苦しさがあるとは言え、少なくともできる限りの看病はしたという思いだけは許されて、それが後々の癒しを準備してくれる要因ともなるのですが、自死の場合には癒しを準備してくれるものがありません。被害者意識と加害者意識とが未分化のままに混在して、自責と自己正当化との間を揺れ動くことになるばかりか、対社会との関係においても、社会の無理解と、どこからともなく意識される無言の指弾を感じとって、孤立感と無援感に苦しむことにもなりがちです。
 交通事故や山岳事故、赴任先での事故死など、さまざまな突然死の場合にも、まるで夢かと思えるようなその唐突さや、死にゆく過程を見ることもなく、また、ときには遺体すら見ることが許されないなどの理由から、意識の上でいつまでも死の事実性が曖昧のままに取り残されて、立ち直りの開始に遅れが生じることもしばしばです。
 最初にも述べましたが、死別という体験は、一様に辛く、悲しいネガティブな出来事であることに違いはありません。しかし、生きている限りは、いずれは悲嘆の作業を完成して、新しい人生に力強く出発しなくてはなりませんが、それには、死別というネガティブな出来事を、なんらかのたちでポジティブなものに変容させるという作業が必要になります。そのための最も大切な作業が、死別を通して訪れくるさまざまな感情をたじろぐことなく見つめ続け、数限りない自問と自答を繰り返しながら、死別という体験によってしか見出し得ない新たな認識を獲得した新しい自分自身を闇のなかから救い出す以外にはないように思うのです。
 私もまた数限りない自問と自答を繰り返し、後悔と反省を繰り返した後に、命の大切さや人を愛することの大切さを理解しました。妻の死を代価にしてしか理解できなかったことはなんとも情けないことではありましたが、しかし「情けなさを覚えながらしか理解できなかった」この知識は、残りの人生を私なりに意味あるものとするためには、ぜひとも必要とされる大切な知恵の奥義のようにも思えました。そして密かにこう思いました。これは妻が残してくれた大事な贈り物なのだと。そう思ったときから、私は他のご夫婦を見ても羨ましいとは思わなくなりました。自分はこんなにも大切なことを密かに知っているのに、この人たちはまだこの奥義には気づいてさえいないのだ、とそう思えたからに違いありません。


◆暗いトンネルからなかなか抜け出せないように思うとき ――落ち込むこと自体に意味があることを知ってください

 死別直後の混乱が過ぎ、葬儀、法事、遺産相続の手続など、慌ただしい事後処理も終える6が月から1年後あたりから、深い抑うつ感を覚えるようになることがあります。この抑うつ感をあまり恐れないでください。この時期に生じる抑うつ感はごく一般的なことで、むしろ自然な心の営みであるとさえ言うことが出来るからです。
 死別直後の混乱した意識が少しずつ日常性を回復するにつれて、伴侶のいない現実の空しさが次第にはっきりと見えてきます。すると、夫婦共にそろっていたころの安心感や安定感が無性に恋しく、ありがたいものに思われると同時に、当時の日々がもう二度と戻っては来ないことを改めて自覚し、また、伴侶を失っていない知人友人たちと自分との間の決定的な違いをいやがうえにも意識するようになって、抑うつ的な感情に陥らざるを得なくなります。
 死別を経験した人たちは、これまでにさまざまな心の局面を経てきました。
 病院のモニターを見ながら、伴侶の死の事実を、感情のレベルではなく、知的なレベルだけで認識した最初の茫然自失の状態から、感情が少しずつ立ち戻ってくるとともに始まる「死の否認」の状態(伴侶の死を心理的に受け入れることができずに、心のどこかで、なお生きていると思い込もうとする状態)、そして死者を無意識のうちに追い求める「追慕」の時期どを経て、いま、伴侶の死がもはや否定することのできない事実であることを意識し始めることから始まる「抑うつ」の状態に入ってきたのです。
 しかし、この抑うつの時期は、立ち直るためにはとても大切な準備段階の時期でもあることを忘れてはならないのです。
 人間の心というものはとても霊妙神秘な働きをしていて、外側から見るかぎりでは、ただ単に消極的な抑うつの状態にあるようにしか見えませんが、しかしその抑うつ期にも、心は無意識のうちに働いていて、必死に生きる意味を模索しています。抑うつの状態とは、このように落ち込みながらも、なんとか落ち込まないですむ意味ある何ものかを求めている状態なのです。
 ですから、落ち込むことは大切なことでもあるのです。心はいつまでも落ち込み続けるということはありません。落ち込むところまで落ち込むと、心は自然と生きることを求めて反転を開始します。心とはそういうものなのです。ですから、落ち込むことを恐れる必要はないのです。
 では、どの時期が落ち込みの最低点かということになるのですが、これだけは、この時点から、と秤で量るように確定することはできません。心はさまざまな要素を複合的に絡めながら流動しているからです。ただ、こういうことだけは言えそうです。
 私たちには、あるとき、「もう十分に落ち込んだ」と、ふと思えることがあるということです。特にはっきりとした理由は見当たらないのですが、そう思えるからには、意識の上では知り得ないそれなりの十分な理由があるのでしょう。「もう十分に落込んだ。もうこれでいい」と、なんとはなしに思えたとき、それがすなわち「低点」であったと言えるのです。
 そう考えると、心というものの神秘な働きに驚くのですが、それはまさに自然というものの蘇生力と言えるもので、心もまた一つの確かな自然であったことに改めて気づくのではないでしょうか。


◆70歳代半ばになりますが、それでもなお人生に夢や憧れや輝きを求めています。年甲斐もないことなのでしょうか?

 いいえ、そんなことはありません。いくつになっても、人生に夢や憧れや輝きが求められるということは、素晴らしいことではありませんか。むしろ、そんな気持ちを持てなくなる日がやって来るのが恐ろしいくらいです。
 夢や憧れが持てるというのは生命力の証しなのでしょう。誰の心のなかにも、その奥底には、何か美しい夢や憧れの源泉のようなもの潜んでいて、命ある限りは、それを求めずにはいられないのではないのでしょうか。
 それがどんなものであるのかは、もちろん私たちにはわかりません。それが証拠に、こんなにも夢や憧れに生きているのに、さてその夢や憧れの対象はと考えると、何を求めているのか自分でもわからないからです。
 夢や憧れの対象は変幻自在で、常に姿を変えているのかもしれません。路傍の小さな花であることもあれば、ふとした人の美しい仕草であるかもしれません。あ、美しいなと思えたときに、それが夢や憧れの対象であり、輝きなのかもしれません。


◆先日、結婚している娘から「お母さんの老後の世話は看られないから、そのときは施設に入ってね」とあっさり言われました。こんなにも大事に育ててきたのに、教育にも沢山お金をかけて来たのに、そう思うと腹が立って仕方ありません。

 詳細がわからないので、一般論を出ることが出来ませんが、同じような寂しさ、つらさを経験されているお母様方は、最近意外と多いのかもしれません。「親心子知らず」などとつい言いたくもなりますが、背景にはいくつか理由があるのではないでしょうか。
 私たち自身がかつては「親心知らぬ」子供であったわけですが、同じ子供でも、私たちの子供の頃には、もう少し遠慮というものがあったような気がするのですが、いかがでしょうか。「遠慮」という空気を無意識のうちに呼吸していたと言ってもよさそうです。その「空気」が、伝統とか習わしとかいう目に見えない無意識の規制だったのだと思います。その規制が今はすっぽりと抜けてしまった。規制から解放された子供たちは、まるで無遠慮に何でも口にしてしまうようになったのかもしれません。
 子供の頃、母親からよく「お前はなんて親不孝なんだ」と言って叱られたことがありました。その言葉を聞くたびに、なんとも胸のふさがるような辛い気持ちがしたのを覚えています。そこで私も子育て中に、何度かこの言葉を使って子供を叱ってみたい衝動に駆られたのですが、その度に、どうもこの言葉はもう死語になっているのではないかという気がして、ついに使わずじまいで終わりました。
 お嬢さんの言葉も無遠慮な風潮のなかでの言葉にすぎないのかもしれません。あまり気になさることではないかとも思いますが、それにしても、言葉には、時と場合に応じて使ってよいものと悪いものとがあります。それを感じ分けるだけの慎重さや優しさを、お嬢さんにも学んで欲しいところですが、大人となった今となっては、それもなかなか口に出しては言えません。
 ときおり私は、思いやりや優しさの大切さに気付くという気付きは、誰もが簡単に出来るものではないのかもしれないと思うことがあります。そうした素質に最初から恵まれるか、あるいは親の歳になり、親と同じ苦労を重ねて、やっと気づくなら気づくのではなかろうかと。
 この意味では、人類は同じことの繰り返えししかできない愚かな動物なのかもしれません。自分のことは一先ず棚に上げて、親の歳にならずとも気づいてくれたらよいものをとつい思うのが、また親心というものですが、やはり、仏心にも似た叡智のひらめきが子供の心に宿るまではいかんともしがたく、その時期が来るのを忍耐強く待つ以外にはないのかもしれません。
 そして最後にもう一つ、昔から「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言われます。親子の関わりはこの世限りのものだ、というくだりにはやや寂しさも感じますが、よくよく考えてみると、この格言はとてもよく真実をついているようにも思えます。もし親子の関係がこの世限りのものならば、子どもに与えたものはすべて親の務めだったと覚悟して、お返しなどは望まずに、今残されている資力のなかで、子供たちに頼ることなく、自分なりの自立した人生を求めてみるのも、一つの考え方かもしれません。


◆人のお話を聞いていても、つい「私のほうがずっと辛いのに」と考えている自分がいます。立ち直りに影響するでしょうか?

 そうした傾向はよくあり勝ちなことだけに、本気で立ち直ることを望むなら、そこに「悲嘆競争」を持ち込むことだけは避けた方がよろしいかと思います。死別の悲しみに、軽重の度合いはないからです。死別の対象は、親、兄弟姉妹、友人、子ども、伴侶などさまざまですが、それぞれの悲しみは、それぞれの場合において同じ重さを持っています。
 悲しみから立ち直ろうとするとき、立ち直ろうとしているその悲しみは、他人の悲しみからではなく、自分自身の悲しみからのはずです。自分の悲しみからである以上、他人との比較などは必要はなく、自分の悲しみだけを見つめていればよいのです。
 同じの比較でも、以下のような比較もあるでしょう。
 一人でいる限りは、誰しも自分のことしかわかりませんから、自分の悲しみが世界で一番つらい悲しみだと考えたとしてもなんの不思議もありません。
 しかし、ミーティングなどに参加して、高齢の人であれば、そこで自分よりもずっと若い人たちの悲しみを目の当たりにし、同年代の人同士の場合であれば、自分よりもずっと深刻な悲しみの事例に接することもあります。
 高齢の方の場合であれば、「ああ、若い人がこんなに悲しんでいるのだから、高齢の自分が悲しい、悲しいとばかりは言っていられない」と考え、同年代の人同士なら、「世のなかで苦しいのは自分だけでなく、自分よりもっと苦しい人もいるんだ」と気づくこともあるでしょう。
 「自分よりずっと苦しんでいる人もいるんだ」と認識する比較は、同じ比較でもはるかに良質な比較であると言えるでしょう。なぜなら、そのように考えられる心には、自分だけへの狭い関心を越えた、広さや優しさや客観性があるからです。そうした要素は、立ち直りを促すとても大切な要素だと考えられます。


◆「支える会」で心から理解し合えていた仲間が最近疎遠になりだしました。とても悲しいです。どのように対応したらよいのでしょうか?

 「支える会」などでご一緒した仲間は、悲しみ苦しみを包み隠さず話し合った仲ですから、強い仲間意識と人間関係を作り出します。なんでも話し合えるこんな仲間が持てたことに、心から感謝したいと思うに違いありません。将来の孤独や不安を話し合い、助言し合い、支え合える友人が持てるということはなんとも力強く、こんな仲間を生涯にわたって持ち続けられたらと望むのも当然です。
 しかし考えてみますと、こんな仲間が持てたのも、もとをただせば、伴侶を亡くしたという共通点があったからで、立ち直りが進むとともに、当時の気持ちが、何か異次元の世界のことであったように思えるようになるとしても、不思議はありません。会に参加したそもそもの目的も、立ち直ることでした。当時の仲間たちからしばらく遠ざかりたいと考えたとしたら、それは立ち直りが進んだことの何よりの証拠で、むしろ喜ぶべきことかもしれません。
 しかし、これほどに共鳴し合い、理解し合えた友人が持てたということは、生涯を通じてもそう多くあることでないのも事実です。もしこんな友人たちを生涯にわたって持ち続けたいと望まれるのなら、こんなことを考えてみるのも意味のあることかもしれません。
 友人関係を維持する何よりの秘訣は、「親しき仲にも礼儀あり」の精神を忘れないということです。たとえどんなに親しくとも、心のどこかに節度としての適度な距離を忘れないことです。節度を保つことも大切な礼節の一つなのです。
 生活環境も、生活感情も異なる者同士が、たまたま一つの共通項のもとに集まったのですから、やがて考え方や感じ方において、お互いの相違点に気づくことがあっても当然です。考え方が違うから、感じ方が違うから、だから離れるというのではなく、一度その相違点についてじっくり考えてみてほしいのです。それぞれが育ち、育んできた家族や家庭は、それぞれ一つの文化なのですから、それは文化の違いかもしれないのです。
 友人関係というのは夫婦関係と同じです。寛容と忍耐をもって相違の理解に努めるならば、その異質性は、実は自分に欠けている部分を補い、自分を「成長」させてくれるとても意味深い違いであることに気づくことが出来るでしょう。本当は、夫婦がともに健在である頃に気づくべきことでもあったのです。
 そしてもう一つ、とても大切なことがあります。それは、自分のことよりも、まず相手のことを気遣う精神を忘れないことです。気遣いがある限り、人間関係は壊れないのです。


◆立ち直りがもう一つすっきりしません。「一度心底から泣くことが出来さえしたら」と思うのですが、私だけのことでしょうか?

 「思いきり泣けたら、もっともっとさわやかになれるのでは」という思いは、実は多くの方々が共通に抱いている思いなのです。悲しみから立ち直る作業においては、「涙を流す」という行為は恥ずべき行為であるどころか、むしろ必要とされる、大切な行為でもあるからです。涙についてさらに付け加えれば、同じ涙でも、すすり泣くだけの軽い涙であるよりは、慟哭にも近い深い悲しみの涙である方が有効なのです。その事情は、母の不在を悲しんで、激しく泣き叫んだ後の幼児に訪れる、あの安らかな眠りを見てもわかります。深い悲しみの涙には強い浄化作用があるからです。悲しみの涙には、怒りや憎しみの涙とは違って、ストレスを解消するのに有効なセロトニンなどの脳内物質の分泌を活性化することも実証されています。
 しかし、こうした深い涙を流す機会は、日常生活の中ではなかなか恵まれないばかりか、個々人の性格もあって、容易に出来る人、出来ない人があります。大事なことは、悲しみを忘れないこと、そしてその悲しみを、ゆっくりと、時間をかけて見つめ続ける忍耐力が持てることです。悲しみを見つめ続けることができている限り、悲しみは純化されていきます。
 時間とともに深められ、純化された悲しみは、必ず私たちを成長させる癒しの力となってくれます。


◆今日の自由な日常があるのは夫のおかげです。にもかかわらず、夫に感謝することに罪深さのようなものを感じます?

 今の自由な日常に罪深さを感じる必要は何もありません。亡くなられたご主人に対する供養の務めも立派に果たされたではありませんか。あなた以外の誰がこれほどまでにご主人の死に心を痛め、誰がこれほどまでに心を込めてご供養をすることが出来たでしょうか。それに、ご主人の死後、あなたは、たった一人の力で、お子様のお世話も立派に果たされたではありませんか。おそらくあなた自身は、これほどまでに心のこもった、単なる形式に終わることのない濃い弔いをしていただくことはないのではないでしょうか。なぜなら、この悲しみは、夫婦だけに与えられ、許された特別の悲しみだったと言ってもよいからです。
 今の自由を享受する権利は、あなたには十二分すぎるほどにあり、この権利を与えてくださったあなたのご主人に、なんのこだわりもなく感謝してよいのではないでしょうか。ご主人もきっとそれを望まれているに違いありません。


◆夫は人を疑うことを知らない人でした。友人を信用したばかりに、自死に追い込まれてしまい、その人に、激しい怒りと憎しみを押さえることが出来ません。苦しみから抜け出す方法はないでしょうか?

 怒りや憎しみが、生死にかかわるものでない限りは、やがて自分なりに処理し、納得することもできるでしょう。しかし、それが生死にかかわるとき、感情を治めることがいかに辛く、困難なことであるか、よく理解できます。
 その怒り、憎しみの感情が自分の心と命をむしばんでいくのを感じながら、それをどうすることも出来ないところに、今のお苦しみがあるのですから。
 今私に思いつくことがあるとすれば、それは、怒りや憎しみの性質を逆手に取ることしかありません。怒りも憎しみも、それを一度吐き出してしまわぬ限りは、いつまでもくすぶり続けます。裏返せば、それを徹底して吐き出してしまえば、消えざるを得なくなるかもしれないということです。吐き出すという行為は、「浄化する」行為でもあるからです。
 そこで、しばらくの間、心の中で徹底して怒り、憎んでみることを提案してみたいのです。怒らずにはいられない、憎まずにはいられない理由を、日々見つけ出しては、一つひとつ書き出すぐらいにして、「こういうことをしたこの人が憎い、こういう理由で憎い」と、口に出しても良いし、頭のなかだけでも良いですから、何度となく繰り返しては、怒り、憎んでみます。ある日、もう怒る理由も、憎む理由も見つからないような気がしてきて、自分のしていることが、なにか虚しいことに感じられるようになってくるかもしれません。
 虚しい、無意味だと思えた瞬間から、怒り憎しみのない心の健康に幸せを感じられるかもしれません。
 もう一つ、頭の片隅に入れておいていただきたいことがあります。怒り、憎しみの感情は、ときおり、直視するのが耐えられない事柄から、自分の目をそらすための手段として使われることもあるということです。
 自分にはなにか意識したくない、はっきりさせたくないことがあるのだろうか、ないのだろうか、自分なりに探ってみるのも良いかもしれません。もし何かあるとしたら、臆せずそれと向き合ってください。立ち直りへの回路を閉ざさないためにも、素直に自分を見つめ直すことは、とても大切なことのようです。


◆死別後間もない間は、引越しをしたり、家を売ったり買ったりする大きな決断はしないようにと言われましたが、本当ですか。それはなぜですか?

 総じて死別後しばらくの間は、少なくとも一年ぐらいの間は、引っ越しや、家の売買など、生活に直接大きな影響を及ぼすような決断は控えるのが良いとされています。理由は、伴侶との死別といった人生上の大きな危機の後では、心理状態がきわめて不安定になるためです。
 伴侶と過ごした家には思い出がいっぱい溢れています。身の回りのものには思い出がいっぱい詰まっていて、その一つひとつが悲しみを引き起こします。ですから、共に過ごした家に住むこと自体が苦しくて、引っ越しをしたいと考えられるのも理解できます。しかし実際には、引っ越しをしたからといって、すべてにおいて気持ちが楽になるとは必ずしも限りません。むしろ新しい環境が新たな苦痛の種になることもあって、安易に家を処分してしまったことをあとあと後悔することもしばしばです。
 大きな危機を体験した直後の心理は変化しやすく、しかもその振幅がきわめて大きくなることを、前もって知っておくことはとても重要です。ほんのわずかなことで深刻な抑うつ状態に陥ることもある代わりに、ほんのわずかな親切や人の好意にもたちまち大きな幸福感を覚えたりもします。とにかく振幅が大きいのです。そして重要なことは、そのいずれもの気持ちも永続するものではないということです。過度な幸福感も一瞬のことであれば、深い抑うつ感も決して永続するものではありません。間もなく気持ちは安定してきます。気持ちの安定とともに、信頼するに足る判断力も戻ってきます。大きな選択や決断をするのは、それからからでも決して遅くないのではないでしょうか。


◆辛い悲しみからは早く抜け出したいと思う一方、この悲しみからはしばらくのあいだ抜け出したくない、という気持ちもあります。どちらの自分が本当の自分なのでしょうか。これはどのように理解すればよいのでしょうか?

 どちらの自分も本当の自分なのです。死別直後からしばらくの間、少なくとも1、2年の間は、そう感じたとしても、ごく自然なことで、実は、多くの方々がそのように感じているのではないかと思われます。
 愛する人の死に関しては、後悔の思いや罪の意識は振り払い難く伴いがちです。亡くなられた伴侶への思いとショックが強ければ強いほど、悲しみを覚え、心の痛みを覚えることが、自分にできるせめてもの償いであり、愛の証であると考えるのは自然なことではないでしょうか。
 死別後しばらくの間は、死を悲しみ、心を痛めることが、伴侶への愛や思いと一体化して、それらを失うことをむしろ恐れるのです。
 体内時計を持つように、人はそれぞれに定められた「弔いに要する時間」を持っていますが、その時間が満ちるまで、矛盾とも感じられる二つの感情を抱くことは自然なのです。その感情は、死別直後に特有の心の縛りの一つとも考えられます。


◆感情を素直に表現出来ると、立ち直りも早いと言われていますが、本当でしょうか。また男性と女性とでは、立ち直り方にも違いがあるのでしょうか?

 男女の立ち直り方の違いからお話しますと、基本的な形は同じだと言ってよいでしょう。当初のショック状態から、死の否認、罪の意識や怒りの感情、否定しえない死の現実を意識するともに訪れてくる抑うつの状態、そして、その抑うつ状態を一定期間経過した後に訪れて来る、日常性への反転といった、いわゆる「悲嘆の作業」の過程は同じなのですが、男女間では、その過程で微妙な差のあることも事実です。
 悲しみから立ち直るには、悲しみの感情を素直に認め、受け入れ、表現することがとても大切なのですが、女性に比べて、男性の場合、感情表現が比較的不得手なのです。かつての男性の場合、ミーティングの場などでその日のテーマについて語る際に、前もって語ることを紙に書き出し、それをその場で読み上げ、「はい、終わりました」とばかりにすませる人が少なくありませんでした。その点、最近の男性は感情表現も素直で、豊かになりましたが、それでもなお時折、感情表現における素直さがなにか男らしくない、恥ずかしいことのように感じられているらしいふしを見受けることがあります。
 感情を素直に、しかも豊かに表現できる人の方が、立ち直りはずっと早いようです。その理由の一つには、感情表現そのものにカタルシス(浄化)作用があるためと思われますが、そのほかにも、立ち直るためには、様々な形で自分のなかに隠れている悲しみの要素を、一つひとつ取り出しては、確認していく作業が必要であることと関係しているのかもしれません。自分のなかに潜んでいる悲しみの要因のほぼすべてと向かい終えた、と自分でも感じられたときに、立ち直りの準備は完了するものと考えられます。感情表現を控えることは、その作業を妨害してしまうことにもなるからです。
 「日にち薬」という言葉もあり、時間は確かに癒しをもたらしてくれますが、「日にち薬」とは、言い換えれば、今述べた作業を、新しい状況に遭遇するたびに改め?て発見しては、日にちをかけて確認していく作業を言うのですから、作業を完了するまでにはそれなりの時間がかかることになります。しかし、同体験者たちが集うグリーフ・ミーティングなどに参加すると、そこに参加した人たちの多様な悲しみをいちどきに聞き、疑似体験し、共有することになりますから、多様な感情や状況を見定める時間が大幅に短縮されることになります。
 ミーティングに参加される場合にしろ、一人で悲しみを癒す場合にしろ、大切なことは、「今のこの悲しみは、いずれ必ず癒される」ということを信じることです。今の苦しい気持ちを、焦ることなく、いらだつことなく、優しくいたわるようにして見守りながら、とにかく一日一日を大過なく過ごして行くことです。癒しの作業は、苦しんでいる今この瞬間にも、心の深い部分では、意識されることもなく着実に進められているからです。
 人はそれぞれ、生い立ち、過去の体験、性格などによって、十分に弔えたと思えるまでの時間が、自ずと定められているのではないかと思うことがあります。その時間が満たされ、全うされたときに、「もう、これでよい」という気持ちがどこからともなく湧き起こり、立ち直りは始まるのです。
 悲しみは、恐れず、拒絶しようとせず、ゆっくりと、優しく見守るような姿勢がとても大切です。


◆夫の遺品が目に入ると、苦しくてたまりません。すぐにも整理したいのですが、心残りでもあります。どうするのが一番よいのでしょうか?

 よほどの緊急性のない限り、遺品の整理は急ぐことはないように思います。もちろん、衣服その他、形見分けができるものは、整理というよりは、ご主人のお気持ちをお届けするような気持ちで、身近な方に頂いていただくのはよいことだと思います。それ以外は、収納する場所がある限り、ご自分の気持ちが落ち着くまで、しばらくは手元に置いておくことをお勧めします。その場の衝動で処分してしまって、後で後悔される方は意外に多いのです。
 遺品、写真、また伴侶と共に訪れた思い出の場所などに対する遺族の反応は、二分されているようです。遺品や写真を常に身近に置いておかなくては済まない方々がいらっしゃる一方で、伴侶を思い起こさせるものはすべて遠ざけておきたいと考える方々も多くいらっしゃいます。どちらの反応も、伴侶を亡くしたという大きなショックが引き起こしているもので、遺品や写真をつねに身近に置いて置きたいと思うのは、亡くなった伴侶を常に身近に感じていたい、忘れたくない、という気持ちからでしょうし、遠ざけておきたいと思うのは、いましばらくの間、辛い気持ちからは遠ざかっていたいと思うからにほかなりません。
 しかし、そうした振幅の大きい感情は、いつまでも続くものではありません。いずれ気持ちは安定し、落ち着いてきます。遺品を本格的に片づけるのは、それからでも遅くないのではないでしょうか。
 遺品の処理については、こんなことも考えておく必要がありそうです。遺品を意味ある形で大切に処理できるのは、誰でもなく、やはり自分自身ではないかということです。遺品の一つひとつには、夫婦が共に過ごしてきた思い出が一杯に詰め込まれています。その思い出の一つひとつを大切にしながら、懐かしみながら、惜しみながら、そして、一つひとつにお別れをしながら片づけられるのは、やはり残された伴侶でしかありません。無造作に、機械的に捨てられるのは、考えるだけでも辛いことです。
 遺品も、数々の写真も、ある日、決断して整理する日が来るのかもしれません。


◆立ち直って以降も、死別の悲しみは完全には消え去ることはないと聞きます。本当でしょうか。それなら、これからの人生に喜びや楽しみ、心からの笑いはもうないということでしょうか?

 そんなことはありません。人生の喜びも楽しみも、心からの笑いも感じることが出来るようになります。  ただ、立ち直った後にも、悲しみは残るのか、完全に消え去ることはないのか、ということで言えば、その通りだと言うべきかもしれません。しかしこれについては、少しばかり説明が必要なのです。
 どんなに深い悲しみであろうと、生きる力を持ち続けている限り、いずれ必ず立ち直ることに間違いはありません。ただ、ここで一つだけ考えておくことがあります。それは、「立ち直る」ということがどのような状態を言うのかということです。
 「立ち直った」状態とは、死別に起因する様々な悲しみの感情が自分なりに整理され、納得されて、悲嘆の感情が、消え去ったと言えるまでに「薄らいだ」状態を言うものだということです。私はこれをよく、「これまで意識の前面を占拠していた悲しみの感情が、徐々に後方に退いてゆき、その部分に、新しい感情生活や行動の自由を許す『空間』が用意された状態」というように説明することがあります。
 立ち直るということは、死別以前の、悲しみを知らない、元の自分に立ち返ることではありません。事実の記憶は消え去るはずもなく、記憶を残したままに、平常態とも言える状態に復帰したことを言うのですから、命日その他の様々な記念日や季節の到来とともに、遠退いていたはずの記憶が呼び戻され、悲しみの感情が呼び覚まされても何の不思議もありません。ただし、その悲しみの感情はもはやかつてのように強烈なものでも、持続するものでもなく、胸の痛みを残しつつも間もなく消え去る、どちらかと言えば、優しさすら伴う穏やかな悲しみにすぎません。
 そもそも、楽しみも喜びも、それが死者を本質において裏切るものでない限りは、当初から死別の悲しみと矛盾対立するものではないのです。当初はそれを味わう気持ちさえ起きないのは、弔いの気持ちの方がはるかに勝るからにほかなりません。
 人は悲しみの記憶を内に秘めながら、いずれ、その記憶と矛盾しない楽しみや喜びを探し、見つけ出して行くものなのです。こうして見つけ出された楽しみや喜びは、その姿形は一見死別以前のものと同じように見えながら、実は、決して同じものではありません。なぜなら、それは悲しみを通すことによって豊かにされた楽しみであり、喜びであるからです。その意味で、記憶とは、決して矛盾することを許さない人格の核のようなものだとも言えるかもしれません。
 死別体験とは、言ってみれば、無限の意味を内にはらんだマグマのようなものです。人は、その後の人生の節々で、このマグマからさまざまな意味を引き出し、自分を見つめ直しては、知らず知らずのうちに自分の人生を豊かで、厚みのあるものにしているのです。


◆夫を亡くした辛さから、たまらず友人たちに電話を繰り返して、友人を次々と失う羽目になりました。何故でしょう。人に訴えてはいけないのでしょうか?

 人に訴える行為自体は、いけないどころか、ぜひお勧めしたい行為です。なぜなら、黙っていたら身も心も崩れそうな不安と動揺を、まず誰かに訴え、受け止めてもらうことから、立ち直りの第1歩は始まるからです。悲嘆の感情を忍耐強く聞きつづけてくれる聞き手を見つけること、そして出来たら長期にわたってその関係を持ち続けられること、それが立ち直りの時期にはとても大切なことなのです。
 特に初期の混乱期には、まるで衝動にでも駆られたように誰かに訴えずにはいられないのですが、この時期の状態では、しばしば訴える本人ですら、自分が何を訴えたいのか、何をどうしてほしいのか判然としていないのが一般的です。訴える内容にも脈絡がなく、同じことをただ繰り返すだけのことになりがちです。
 この行為は、訴え手の側からすれば大変意味のある行為なのですが、聞き手にとっては、忍耐を要する、負担の多い行為になります。重い感情を放出することで、訴え手の方は、いわゆるガス抜きを繰り返しながら精神の安定を保ち、次第に自分の感情を整理し、立ち直るために必要な平静さを見つけていきます。しかし、感情をぶつけられる聞き手としては、その重い感情を受け止め、理解に努めるだけで、多大なエネルギーを要することになります。友人たちが間もなくその重みに耐えられなくなる事情も、理解してあげなくてはなりません。
 同じ体験をしていない限り、死別の悲嘆感情だけは理解が行き届きませんから、聞き手は間もなく、その心労に耐えられなくなり、「もうそろそろ立ち直らないと、ご主人が悲しみますよ」などと言い出すことにもなります。同体験者なら、遥かに大きな忍耐力を期待できますが、その場合ですら、悲痛な感情に耳を傾けるうちに、自分自身の過去の悲痛を呼び覚ますことにもなりますから、間もなくそれに耐えられなくなり、遠ざかる姿勢を見せることもあります。
 語り手と聞き手との間には、このような大きな落差があることを前もって理解しておくことは、有効な支援的環境を持ち続けるためには、大切なことかもしれません。


◆夫の亡くなったことを、出来れば誰にも告げたくありません。友人にも、親戚のものにも。おかしいでしょうか?

 おかしいことではありません。強弱の差こそあれ、大切な人を亡くされた方々には共通した感情であるとも言えます。同様なことを口になさる方は意外に多いのです。別に伴侶の死を秘密にしておきたいからというのではなく、知らせないですむものなら、たとえ身近な人にさえ、しばらくは知らせないままにしておきたい、ということのようです。
 さまざまな理由はあるなかで、恐らくもっとも本質的な理由としては、次のようなことが考えられるのではないでしょうか。
 長い闘病の末の死であれ、自死や事故などをふくめた突然の死であれ、人の死を見届ける一連の行為は、決して生易しいものではありません。痛ましい光景や記憶が脳裏に焼き付き、自責や後悔の念にも苦しめられます。出来れば辛い記憶は思い出さず、封じておきたいと考えるのが自然です。そころが、死者の引き取り、葬儀、埋葬、弔問客への対応など、その後の経過は残されたものに生々しい記憶を繰り返し再現させ、説明させ、解説させる長い一連の過程でした。「もう、しばらくそっとしておいてほしい」と感じたとしても、何の不思議もありません。
 その上でさらに、本人すら気付かずにいるさらに本質的な理由を指摘することが出来そうです。ほかならぬ、立ち直りの過程で常に問題になりながら、完全には克服することの困難な、「死の否認」という心理とのかかわりです。
 「死の否認」心理の現れ方には、深刻なものから、ごく軽いものにいたるまで、その形や程度はざまざまですが、この心理の基本を簡単に要約すれば、「まだ死者を死者として認めたくない」という無意識の心の要求です。
 愛する人の死は、きわめてショッキングな事実ですから、これをはっきりと意識し、認めてしまったら、場合によっては、自分自身の崩壊をすら招きかねない危険があります。そこで無意識が本能的に働いて、茫然自失させることで意識を曖昧化したり、頭では死を当然のこととして理解していながら、感情のレベルではまだ死を死として受け入れない、という心理を生み出します。
 「出来れば人に告げたくない、知らせたくない」という心の働きは、このごく軽い「死の否認」の心理と深く関係していると考えることができそうです。あえて死を「言葉にしない」限りは、少なくとも自分の意識としては、死を明確化しないままにしておくことができ、死別以前の「心の状態」を仮に保つことができます。
 生活上支障のない限りは、この方法は意外と有効で、事実、多くの方々が無意識のうちに利用している方法でもあります。例えば、亡くなった夫や妻が「今は、海外に出張中なのだ」と想像してみるのがその一つで、こうすることで、死者が今なお「生存している」という仮の心理状況を作り出し、「精神的な安定」を保つことができます。
 しかし、それはあくまでも、「しばらくの間」の対処法にすぎません。本当の意味で立ち直るためには、やはり「死の事実」をしっかりと受け入れることから始める以外にはありません。事実の認識があって、初めて、根底から立ち直ろうとする意志の活動が始まるからです。


◆夫を亡くしてから、悲しみの感情が消えることはありません。でも、時折、新しい愛さえあれば、悲しみは消え去るのではないかと思うことがあります。この思いは非常識なことなのでしょうか。罪深いことでしょうか?

 いいえ、非常識なことでも、罪深いことでもありません。むしろごく当然で、自然な感情ではないかと思います。私たちの心の中には、生来的に、より完全な愛と幸せを夢見る気持ちが本能として埋め込まれているように思われます。その思いは、消えることなく常に私たちの心の奥底に生きていて、ご主人を亡くされた瞬間から、その空虚感を埋めようとするかのように、その思いが心の奥底から浮き上がってきたとしても何の不思議もありません。たとえ、幸福な結婚をして、幸福な家庭を営んでいる最中でさえ、より完全な愛と幸せを希求する欲求は生き続けていて、ときおり顔をのぞかせることがあります。生前の夫や妻に、ときに激しく腹を立て、不満や失望を感じたのですが、怒ったり、不満を覚えたりするのは、不満足な現状を、少しでも理想に近づけたいと思ったからではなかったでしょうか。
 私は53歳のときに52歳だった妻を亡くしますが、当時、妻より先に亡くなるものとばかり考えていた私は、時折、とても奇妙なことを想像することがありました。ほかでもなくそれは、私が亡くなった後で、妻が新しい愛を見つけることもあるかもしれない、と想像することでした。急いで付け加えれば、それは嫉妬の感情とは全く異なるもので、むしろ反対に、妻がその愛を見出したときの、その相手の男性の人柄をおもんばかってのことでした。
 私の死後、支えを失った妻がなにかにすがりたいと思い、さらには新しい愛に心惹かれることがあったとしても、それはそれでごく自然な成り行きに違いなく、そう思う気持ちに嘘偽りはありませんでした。
 しかしそう思った瞬間、胸苦しさを伴うある強烈な不安が頭をよぎったのです。それは、妻がその愛に裏切られることはないのだろうか、万が一にも粗末に扱われるようなことはないのだろうか、という不安でした。それだけは何としても耐え難く、辛いことに思えました。おそらく私自身が、私自身をどこかで信じることが出来ずにいたからかもしれません。
 そんないきさつもあって、愛があれば、悲しみはすべて解消されるのではないかというお気持ちは、とてもよく理解できるのです。
 もしいま言及されているその愛が、いま私が述べた、自分自身の奥底に潜む完全な愛への憧れが頭をもたげてきただけのものでないなら、先ほど私が述べた思いと同じ思いを、亡くなられたご主人もあるいは同じように感じていられるかもしれないと考えてみることは、一息呼吸を入れる上でも、意味のあることかもしれません。充実し、かつ永続する愛は、双方にそれなりの愛の苦悩と、それ故の成長の契機に恵まれて初めて成り立つもので、実は、頭で考えるほど容易に見つかるものでも、実現するものでもありません。でも、もしそんな愛が見つかったら、そのときこそ、理性の目をしっかりと見開いて、大切にしていただきたいと思います。それは、ご主人が願われている愛であるかもしれません。
 しかし、大昔から、人はそんな愛を夢見ながら人生の旅を続けた、孤独な旅人であったことも忘れてはならないでしょう。愛は、憧れを憧れのままに残してそれを美しく生きてみるのも、人生を豊かにする一つの確かな秘訣であるのも確かです。


◆立ち直るには意志力が必要なのでしょうか?

 大きな視点から言えば、立ち直るためには、やはり意志力は必要なのです。しかし、それは意志力さえ行使すればすぐにでも立ち直れるというのとは少し違います。意志力は必要ですが、その意志力は意識して使うのではなく、行きつ戻りつの長い悲嘆状態を経て、あるとき、ふと、一種の納得感を伴う決断のようなものとして自然に行使されると言うのが正しいのかもしれません。その事情は、立ち直るという心の作業の成り立ちを考えるとよくわかります。
 立ち直るまでには、通過すべきいくつもの局面があります。死と初めて対面した直後には茫然自失と混乱の状態があり、次いで、ふとしたきっかけから唐突に喚起される脈絡のないさまざまな記憶の再現と、それによって引き起こされる制御不可能な悲嘆の感情があり、それがある程度落ち着くとともに、死者の面影をひと中に追い求める追憶の時期、幾度となく押し寄せる後悔や怒りや罪の意識の時期、そして深い抑うつ状態。そうしたいくつかの悲嘆の局面を経過しながら、悲嘆感情は一定の安定状態のなかに入っていきます。
 立ち直るためには、こうしたさまざまな局面を経過しなくてはならないのですが、単に経過するだけでなく、回復と逆戻りとを幾度となく繰り返し、ときに深い抑うつ状態にもおちいりながら、悲しみの体験そのものを深めていくことが、悲嘆状態から抜け出すためには必要なのです。
 これが普通、悲嘆の作業と呼ばれているものですが、この作業は意識して行われるというよりは、知らずいらずのうちに行われているのが普通です。こうした作業が自分のなかですべて完了したように思えるとき、自分なりの理解と納得がどこからともなく生まれてきます。それはまるで、「もう、これで十分」と言う声がどこからともなく聞こえてくるような感じです。立ち直ることを決断する意志力は、そのとき自然に働き出します。もし働き出さないようであれば、そのときこそ、意志力を促して、その声を採択する勇気と決断をしなくてはなりません。
 立ち直るために必要な意志力というのは、この意味での意志力です。しかし、この意志力は、必要な悲嘆の作業をすませぬうちは、有効とはならないのが普通です。


◆死別の悲しみを体験して以来、命の大切さも愛することの大切さも知りました。でもそれを生かす機会がないと思うと、虚しいです。この切なさをどのように自分に納得させたらよいのでしょうか。

 お気持ちは痛いほどよくわかります。伴侶との死別を通して、これまで考えてみることもなかった命の大切さ、思いやりの大切さ、愛することの大切さに気づいたのですから、この宝物のような心の豊かさを、生きている伴侶に向けて生かすことが出来たらと考えるのは当然であるからです。
 でも、ここでこんなふうに考え直してみることは意味のあることではないでしょうか。
 その一つは、このつらく切ない思いが何故起きているのかということです。それは、生前の伴侶に十分に尽くしてこなかったという、痛烈な後悔があるからでしょう。実際には、自分が考える以上に尽くせていたのかもしれませんが、それを尽くせていなかったと思うのは、今自分のなかに、そのように思えるだけの心の深さや豊かさが生まれ始めていることを示しています。それは伴侶の死という体験があって初めて生まれてきたものですが、伴侶の死が、あなたをそのように導いていてくれたのであれば、伴侶は単に亡くなって消え去ってしまったのではなく、その命をあなたに託して、あなたを今あるあなたとして、内側から支えていてくれるのだと考えることも出来るでしょう。あなたは、今あるあなたを、伴侶と共に築き上げ、あるいは、伴侶のために築き上げているとも考えられます。それなら、この深さ豊かさを大切に守り育てていかなくてはならないとは思いませんか。
 また、もしあなたが本当に伴侶に謝罪しなくてはならない理由があるとしたなら、あなたはいま、新しく築かれたこの豊かさのおかげで、以前の自分を後悔し、悲しむことが出来ています。後悔には、とても大切な働きがあることをご存知でしょうか。それは、単に反省し、悔やむだけのものではなく、心の軌跡を修復する行為でもあるということです。たとえ事実としての過去を変えることはできなくても、心という現実のなかでこれまでの歪みを正し、過ちを修復し、新しい自分を再生する、それが後悔の担う役目なのです。その作業に、あなたはいま取り掛かろうとしているのです。
 しかし、この心の豊かさには、さらに重要な役目があります。それは、私たちに「生きる意味」を与えるという役目です。いずれ間もなく、今の悲しみも収まり、改めて自分自身の一度限りの人生と向き合い、その意味を問うときが巡ってきます。そのとき、幸せの原動力が、自分のことだけにかまけることではなく、自分以外の人たちに配慮し、心を尽し、優しさを忘れずにいることであることに気づくのですが、伴侶の死を通して知り得た心の豊かさは、そのときにこそ役立ちます。人の世の悲しみと優しさを忘れずにいる限り、美しく意味ある自分と出会うこともできるからです。


◆急性の悲しみを一時的に和らげ、忘れさせてくれる方法はないのでしょうか?

 そんな工夫は確かにあって、実は私たちはそれを無意識のうちに活用しているのではないでしょうか。ひどく苦しいときや、ひどく混乱したときなどに、思わず亡くなった伴侶の名前を声に出して呼んでいることはありませんか。そうすることで一瞬、不安が消えるような、癒されるような気持になります。返事のないのはわかっていて、いかにも子供じみていて恥ずかしいと思いながら、ついしています。
 これは、私たちの心というものが(これを「私たちの脳が」、と言い換えてもよいでしょう)、たいへん繊細鋭敏である一方で、とてもおおらかで、だまされやすく、包容力にも富んだ存在であることを示しています。私たちは合理的であることに固執しますが、その一方で、喜んで非合理性をも受け入れようとしています。死別後も間もない頃に、夫や妻の再来とも思える蝶や鳥や虫にまつわるお話を数多く聞くのも同じ理由によるのでしょう。
 先日、まだ50代早々の若い女性の方たちとお話をしていて、とても興味深い工夫をされているのを知りました。いずれもご主人を亡くされてまだ日の浅い方々でしたが、寂しくなったり、不安になったりすると、ご主人の名前で自分宛てに手紙を書き、しかもわざわざ切手まで貼って投函するのだそうです。間もなくご主人からの手紙が届き、現実とも非現実ともつかないご主人との交流が再開されて、とても癒されるというのです。「違和感はないのですか」と伺うと、そんなことはまったくなく、勇気と決断を要求するような問題に直面したときなどには、これがことのほか有効だとのことでした。同じような癒しの交流は、伴侶の遺品を身近に置いて、折にふれては話しかけたり、身に着けたり、手で触れたりすることでも再現するができるでしょう。ある男性の場合には、日々の日記を妻に宛てた手紙形式で書くことで、苦しい時期を抜け切ることができたとのことでした。
 私自身の経験からも、こうした方法の有効性は十分にうなずけることです。私が妻を亡くしたのは私が53歳、妻が52歳、人生の忙しい盛りで、そのうえ二人とも教職にあって、学生引率やら海外研修やらで、それぞれが別々に家を留守にするのも珍しいことではありませんでした。妻が亡くなったばかりの頃、私は幾度となく「いま妻は出張中なのではないか」と錯覚したり、自らそう考えたりしたものです。するとたちまち、留守宅を預かるときのいつもの生活感覚が立ち戻ってきて、安心して仕事に励むことができました。この半ば意識的、半ば無意識的な自己欺瞞が私の場合にはとても有効で、数年間はこの方法が生き続けていたように思います。
 しかし、急性の不安や孤独を紛らわすための錯覚や自己欺瞞の有効性は、比較的短い期間に限られるのかもしれません。なぜなら、間もなく現実的な思考の方が優勢を占めてきて、錯覚はやはり錯覚であり、自己欺瞞は自己欺瞞にすぎないのだという、覚めた感覚に打ち勝てなくなるからです。
 こうした錯覚が癒しの感覚として自然なかたちで生き続けるためには、逆説的に聞こえるかもしれませんが、苦しい急性の悲嘆状態も収まり、平静と安定とが戻り始めてからかもしれません。永遠に切り離されたとばかり思えていた伴侶が、その頃になると逆に身近に感じられるようになり、望めばいつでもそばにいてくれるようにも思え、「あなたの命が私のなかに生き、あなたが私自身となり、私を内側から支え、導いてくださいますように」という自己流の祈りの言葉も、さほど不自然とも思えなくなってきます。その頃からでしょうか、遺品に触る機会も間遠になってくるのは。
 なんと言っても、立ち直るための最も確かな方法は、言うまでもなく、悲しみの真っただ中を通り抜けながら、逃げることなく悲しみと向かい合い、時間をかけてじっくりとその悲しみを消化吸収して、自分の成長につなげていくという方法、いわゆる「悲嘆の作業」を自分なりにしっかりと完了していくことではないでしょうか。


◆古い友人からお悔やみの手紙を頂きました。でも『突然のご不幸に見舞われて、さぞ悲しまれていることでしょう』という言葉に、私はひどく傷つき、返事を出す気持ちさえなくなりました。私は不幸ではない、不幸だなんて感じてはいない、と叫びたい気持ちになりました。おかしいでしょうか?

 愛する伴侶を亡くされた方々が、知人や友人からお悔やみの言葉を受けて、しっくりしない違和感を覚え、傷つくことはよくあることです。この深い悲しみが、「伴侶も失ったことのないあなたにわかるの?」という気持ちがどうしても起きてしまうからです。そして事実、この悲しみだけは、実際に経験した者でない限りは本当にはわからないのも事実で、そのことは、伴侶を亡くして初めてそれと気づいた私たち自身の経験からもわかることです。
 しかしその一方で、お悔やみを述べてくださる方々の苦労も理解してあげなくてはいけないのかもしれません。日常生活においては、死は常ならぬ出来事ですから、悲嘆のなかにある人々に対してどのような言葉をかけてよいのか、言葉の用意がないのです。思いは一杯あるのですが、それをどう表現したらよいのかわからず、つい型通りの、陳腐な言葉を使ってしまうということもあるからです。言葉の足りない分は、こちらでその言葉以上の気持ちを汲み取り、補ってあげる気持ちも大切かもしれません。
 私は「不幸だなんて感じていない」というお気持ちもよくわかります。亡くなった伴侶への愛と感謝の思いが強ければ強いほど、その死を「不幸」だなんて感じることは、亡くなった伴侶に対する冒涜のようにも感じられるに違いないからです。そのお気持ちは十分理解したうえで、なおご自分を素直に見つめてみれば、やはりご主人を亡くされたことは、悲しく、「不幸なこと」ではないのでしょうか。わだかまりを取り去って、「不幸である」という事実を受け入れ、悲しみを素直に悲しまれることも、本当の意味で立ち直るためには大切なことかもしれません。そしてもし万が一にも、「不幸でない」と叫びたくなるお気持ちのなかに、ご友人たちの誰よりも恵まれ、羨まれていた結婚が失われたこと自体へのこだわりがあるとしたら、やはりそのこだわりは捨ててください。喪失を素直に悲しむ、ごく平凡なひとりの女性に立ち戻ることが、恵まれていたその結婚にこそふさわしい豊かな心の現れ方であり、ご主人に対する深い感謝の表現ともなるように思うからです。


◆悲しみの感情は、回避してはいけないのでしょうか?

 先日、参加者のお一人からこんな質問を受けました。まだご主人を亡くされて間もない方からの質問でした。「とにかく心が落ち着かないので、これまでやめていた趣味の会もいくつか復活させています、また、友人のお誘いにも出来る限り応じていますが、これでは外出のしすぎでしょうか?」と。
 その日の会の最初に、「悲しみは、それを避けてはいけません。悲しみの感情を和らげ、悲しみの感情から立ち直り、悲しみの感情から癒されるためには、逆説のように聞こえるかもしれませんが、悲しみの感情とまっすぐ向かい合い、悲しみの感情の真っただ中を通りすぎる以外、悲しみを癒す正しい方法はないのです」と話し終えたばかりだったからです。
 確かに、悲しみから癒されるためには、悲しみの感情を閉じ込めるのではなく、素直に開放することが大切なのです。立ち直るには、いくつかのなすべき作業があると言われますが、その最も重要な作業の一つが、「悲しみの感情のなかに入る」ということ(つまり、「悲しむ」ということ)なのです。そのうえ、悲しみには、悲しむべき時期というものがあって、その時期を逸してしまうと、悲しみが複雑化して、悲しみが慢性化したり、その後別の喪失体験に出会ったりすると、閉じ込めていた悲嘆感情が倍加した衝撃を伴ってぶり返したてくるとも言われています。質問者はこれを聞いて、当然のこと不安を覚えたのでしょう。
 しかし心配には及びません。悲嘆を「回避する」と言っても、その「回避」の度合にはとても幅広いものがあって、通常は、「異常なほどに」回避しているということはないものなのです。それに、悲嘆の感情は、楽しむ気持ちを是が非でも排除しなくてはならないという性質のものではありません。人間の心はとても多様かつ豊かなもので、死別体験のような場合、悲しむ気持ちと楽しみを求める気持ちは矛盾することもなく、ごく自然に共存できるものなのです。
 この質問者のように、「回避」しているのではないかと、反省したり、不安に思ったりするほどの心の柔軟性がある場合には、全く問題はありません。むしろ、「回避」しているのに、自分では決して「回避」などしていないと思い込んだり、思い込もうとしたりする心の硬直性があるとき、そのときこそ危険なのです。


◆死別の悲しみは、夫婦の関係のあり方によっても違ってくるものなのでしょうか?

 死別の悲嘆は、夫婦の関係のあり方によっても、大きく異なってきます。なぜなら、伴侶との死別による悲嘆は、パートナーを失うことから生じているだけでなく、伴侶が担っていた役割や意味をも同時に失うことから生じているからです。
 夫婦の関係は、大きく分けて5つほどの型になるのではないでしょうか。「相互独立型夫婦」、「相互独立依存型夫婦」、「一方依存型夫婦」、「相互依存共生型夫婦」、そして五つ目が「反対感情併存型夫婦」です。
 「相互独立型夫婦」というのは、言うまでもなく、夫婦が互いの独立性を認め合い、意識の上で比較的大きめな自由が双方に許されているような夫婦のことです。この型の夫婦の場合には、お互いの信頼関係が豊かに培われているため、死別後にもその信頼性が生き残って、悲嘆が複雑化することが少なく、立ち直りもしやすいのが普通のようです。
 「相互独立依存型夫婦」というのは、夫婦がほぼ均等に依存し合い、かつ一定の独立性を保持しているような夫婦です。多くの夫婦は普通この形に属しています。良好な依存感情は、夫婦円満の潤滑油でもありますから、この種の依存性はむしろ好ましい依存性と言えるものですが、依存性がある分、相手を失ったときにはやはり辛いものがあります。  「一方依存型夫婦」と言うのは、文字通り、どちらか一方が他方に依存している関係ですが、依存していたのが残された方であった場合、当然、悲嘆は強くなります。これまで依存するのを当然のこととしていたのですから、依存する対象が失われたからと言って、即座に意識を切り替えるというわけにはいきません。辛い喪失感に耐えながら、徐々に精神的自立を築き上げていく努力をしていかなくてはなりません。
 やや複雑化しやすいのが、「相互依存共生型夫婦」です。「共生型」と呼ばれる理由は、この夫婦が常に二人一緒でないといられない、安心できない、というタイプの夫婦であるからです。お子さんがいらっしゃらないご夫婦の場合などによく見かけられるタイプですが、このタイプの場合には、パートナーの喪失は、自分の存在自体が揺るがされるような深い不安感と孤独感を伴うのが普通です。悲嘆の複雑化を許さないためにも、強い意志力をもって、精神的自立に努めなくてはなりません。
 意外に思われるかもしれませんが、悲嘆が複雑化しやすいのは、最後の「反対感情併存型夫婦」です。この夫婦の場合には、愛と憎しみという反対感情が常にわだかまっていたタイプの夫婦ですから、生前には喧嘩や言い争いが絶えることはありません。にもかかわらず、このタイプに悲嘆の複雑化が生じやすいのは、ひとつには、その憎しみや怒りの感情がしばしば愛着や愛情の裏返しであって、好ましい関係、理想的な関係を願うが故の憎みであり、怒りである場合が多いからです。相手の死によって、求めていた愛の部分は未解決のまま消え去り、憎しみの部分だけが深い罪の意識となって、残された者を苦しめることになるのです。
 ところで、どんな夫婦の場合にも、以上あげた5つのタイプのどれか一つに固定されているということはあり得ません。夫婦関係というものは、そのいずれをも少しずつ取り入れて成立しています。違いはただ、どのタイプがより優勢であるかというだけです。自分たちの場合は、どのタイプが優勢であると言えるのか、一度考えてみるのは、立ち直りに方向付けをするためにも、意味のあることかもしれません。


◆立ち直りが人より遅いのではないかと不安です。立ち直るには、普通どれくらいの時間がかかるのでしょうか?

 立ち直りに、早い、遅いは実はあまり関係ありません。息の長さが人それぞれによって異なるように、立ち直りに要する時間も人それぞれによって異なるからです。
 死別後3か月ほどで早々と元気になられる方もおられれば、4年、5年と悲しみから抜け出せないでいる方もたくさんいらっしゃいます。死別後20年以上たって初めて私たちの会に参加されたという方も何人かいらっしゃいます。
 これは、当初の悲嘆状態が20年以上も同じ状態で続くということを言っているのではありません。悲しみは、時間とともに、年齢とともに、変化していきます。この変化していく悲しみを、そのとき、その年齢のなかで大切にしながら、美しく消化し、意味深い形で生かしていくことが大切なのです。悲しみは恐れたり、忌避したりする対象ではなく、むしろ、自分の成長のために大切に見つめていくべき対象なのです。
 立ち直りに要するごく一般的な時間を上げろと言われたら、やはり2年ないし3年とお答えすることになるでしょうか。その頃になるとやっと自分らしさに戻れたという感じがします。それまでは、日々すべきことはしっかりとしているのに、なにか夢の中にでもいるような感じなのです。
 立ち直るためには、悲しみを避けるのではなく、その真っただ中を一度しっかりと通り過ぎることが必要なようです。悲しみは抑えるのでなく、むしろそれを素直に表現し、それと向き合ってみることが大切なのです。
 忘れてならないのは、それぞれの人の息の長さに違いがあるように、立ち直る時間にも違いがあるということです。立ち直るためには、自分なりに十分に喪に服したと感じられることが必要ですが、それに要する時間は、個々の人々の性格、生い立ち、愛着の度合い、故人との生前の関係などによっても、微妙に異ってきます。自分なりに喪に服し終えたと感じられるとき、立ち直ろうとする意思と決意は自然と湧き起こってきます。これが立ち直りに秘められている心理なのです。


日本グリーフ・ケア・センター
(代表 中央大学名誉教授 長田光展)

Copyright (C) 2021 日本グリーフ・ケア・センター, All rights reserved.